嵯峨副学院長のブログ

2013.10.14

妹からのメッセージと、母の言葉、沖縄での結婚式を思い出して。

イベントの話の途中ですが

今回は、自分の家族の話を書くことにしました。

ブログは誰かに向って書くものと言われますが、

私は、堂々、家族やプライベートなことを自分のために書くことも。

何か残しておきたいときですね。

記憶って、次から次へ新しい情報とともに薄れたり、

仕事や育児で忙しくなってくると

脳も大脳の外側の部分ばっかり働いて、

感動とか、たくさんの思い出が忘れてしまうことが多いから。

頻繁に使っているブログに残しておく。

そして、読むのを楽しみにしている私の母も読める状態にしておく。


ということで、今日は家族のこと。

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先週、10月6日に妹が結婚しました。

式は沖縄県の名護市、サミット先進国首脳会議にも使われた会場、ブセナリゾートの奥にある万国津梁館。



4年ぶりに沖縄に行ってきました。

小学校4年から6年まで過ごした名護で過ごした時期は宝のような体験。

水泳を始めたのもこの頃でした。

マザーカレッジさんで授業を終えて、それから息子を学校の前でピックアップして空港へダッシュ。

その日のうちに那覇空港からレンタカーで名護へ入りました。

しかし、台風23号がきていて、その日の夜のニュースで、翌日の土曜日のフライトがほとんど欠航になることに。

式は日曜日。金曜から沖縄入りした私達はよかったのですが、

「うーんこのままだと、ほとんどの人が沖縄にこれないじゃないの?」

そういう不安が、そして、妹はパニックになっているのではないか心配したのです。

しかし、妹は、というと、つっ強い。

会場の担当者と夜遅くまで打ち合わせをして、当日の
那覇空港からの臨時ピックアップなどを準備。

上司&参加予定の方たちへのメールでは、フライトの状況を説明した最後に、

「私は晴れ女です!台風が過ぎ去ったあとの沖縄は爽快です。お会いできるのを楽しみにしています!」
などの文章が書かれていました。

すっすごい。超ポジティブ。弱気ゼロ。

確かに入江家(私の旧姓)家族皆「晴れ女」であること、

運は強い方であることは間違いないけれど、、

思いは通じたのか?



ほとんどの来賓が日曜日、当日の朝一番の便に振り替え、空を飛んで沖縄にやってきました。

青い空が見える中での挙式は夢のような体験。



沖縄の幼ななじみも、かけつけ、

サミット会場にもなったホールの壇上では沖縄の踊り、カチャーシーが。



皆が躍って、歓談時間をカット。

沖縄らしいスタイルで終始楽しい笑顔であふれました。

そして、この挙式では母が司会をしました。



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前日の夜、母と同じホテルにいた私は海が見える大浴場へ。

母は「これでいいチャンスだから、卒業しようと思って。だから明日はできる限りのベストをつくしたいと思ってね」

そんな言葉を発しました。

母が結婚式の司会の仕事を始めたのは私が大学生のころ。高校生の時に銀行でパートをはじめ、それから突然、結婚式の司会の学校に行きはじめたのです。

それまでは、毎日自分の時間を全部けずって私たちが水泳をするのを応援してくれました。

昼の3時半には晩御飯を作ってくれて、練習前に食べられるように、そして、スイミングの帰りの車の中で食べるお弁当を作ってくれていました。

でも、専業主婦だった母親も、やりたいことがあったのですね。

あれから20年以上、ずっと。

今は65歳。フルタイムでなくても、両方の仕事をずっと続けてきました。

銀行は今年で定年。司会に定年はないけれど


先月早期がんの手術をしたこともあり、ゆっくり娘の結婚式の準備に備えたいからと

司会の事務所からも卒業したのだそうです。

手術室に歩いて向かう母と、見送る妹 ↓



そんなことを話していた母は、娘の披露宴で、とても元気で、

そして、いつもの大きな声は、サミットホールに響くほどのボリューム。

楽しそうにマイクを握っていました。

この、妹の結婚式は、母の誕生日でもありました。

妹が、この日にどうしても、やりたいと言ったのですね。



披露宴の終わりに近くなり、母には新郎新婦からマイクののった
ケーキがプレゼントが渡され、

「お母さん、本当にありがとう」 

と。

ほぼ宴の終わりが見えて、無事に進行していることで

ほっとしている母から大粒の涙があふれました。

なんだか、滞りなく、披露宴が行われ、

妹、母、どちらの姿にもホッとした私。

妹は、小さいころから、とても賢く、聡明で努力家、
なんでも理解するまでのめりこむタイプ。




童話大会の代表、ルービックキューブでは小学1年で大学生に交じって大会にでたり、
ラジコン、新聞でニュースを集めていた妹。


水泳もずっと選手でしていましたが、
とにかく、いろいろなことを掘りさげ、納得いくまで学ぶ傾向が。


小さいころの姉妹の写真を見るとこんな写真が多いです。



妹の凛々しい顔の隣で私があくびをしていたり(笑)

妹の絶妙なスマイルの横で真顔だったり(笑)

妹は、そんな私をずっと「勉強はいまいちだけど、覚悟きめたら強い」とか褒めてくれています。

結婚式の日に準備されていた、妹がつくった絵本。

中ではこのような文字で姉の私を紹介してくれています。












ちなみに母への言葉はこんな表現で。



全然違う性格の姉妹ですが、愛情を太陽のように注いでくれた母に感謝。

もちろん、父へも。

妹の結婚式から、そんなことを強く感じるのでした。

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ところで、披露宴前日。

暴風で、どこにも遊びに行けなかったので、息子をあづけて、
パパさんと2人でドライブ。昔通った小学校と思い出の場所に行きました。



オリオンビール工場のすぐとなりの小学校は当時のまま。



30年前の記憶にタイムスリップして、勇気と力がみなぎりました。



ここを駆け上がって水泳大会の前はお参りをしました。

何せ、温水プールがなくて、プールに入れなかったので
冬は砂浜で走ったり、体育館で走ったりが練習になっていたので
お願いするしかないわけですよ。

それでも、当時は小学生で県新記録を出しせました。
よく願いがかなった場所でした。

いざというときの、神頼みは、今も変わらない(笑)。

妹には、新しい家族と自由で幸せな人生を歩んでいってほしいです。

さあ、つぎの家族イベントは父の古希です。

ちなみに妹が送った言葉は?



言い訳しない、人のせいにしない、正々堂々に生きる。

厳しくも、寛大な父。

私は厳しい父が怖かったし、友達がきても、無愛想風な態度が嫌で、よく、反抗しました。

でも、そういえば、大学4年の春、仕事を選ぶときに迷って、父に質問したことがありました。

今、思えば、よくある質問です。

「好きなことを趣味でやって、仕事は全然違うジャンルにするのか?」

「それとも好きなことを仕事でするのか?どっちがいいかなー?」

すると、父は、

「仕事は人生のうちの、相当の時間を割くことになる。一番多い時間だろう。だから、興味のないことだと途中で続かなくなる。好きなことをやった方が、僕はいいと思う」

こんな言葉でした。

小さい頃から私をみてきた、私の性格をついたメッセージ。

今、社会人18年目になります。

働いてみて気付きましたが、私自身、

仕事と興味あることが分けられるような、多彩な力は、とても持ち合わせておらず。

おかげさまで、興味ある世界にずっといて、良い出会いに恵まれています。

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